コウケントー光線治療~ガン治療の後遺症・副作用

ガンの治療方法

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病院でガンの治療と言って思い浮かぶのは、大抵次の3つだ。

1.抗がん剤

2.放射線

3.手術

これらを組み合わせて対処することも多い。

しかし、一般に用いられている治療法とはいえ、それに付随する苦しみは想像を絶するものもある。

最初からコウケントーでの回復を信じて光線治療を選ぶこともできるが、そこまでの信念がないと医師に

「コウケントーという光線治療器を使わせてください!!」

伝える勇気は湧かないものだ。

(そんなこと、よう言わんわ!)

そうだ、現代医療のみを信じている医師であれば、この患者が、「人の弱みに付け込む悪徳商法のエセ治療器」に騙されているとしか思えないことだろう。たとえ、光線治療が良いと自分自身が認めていたとしても、そんな医師に上手に意思を伝えるのはかなりハードルが高い。

100歩譲って、「周囲が自分自身の決定を尊重してくれる」という状況であっても、治療方法の選択に迷いは付き物。だからこそ、病気になってからではなく、あらかじめ様々な選択肢を調べておくことは大切だ。

それでも大抵の人は、担当医の勧めに応じる選択をするものだ。

では、それにより生じた様々な副作用や後遺症にコウケントーは効果があるのだろうか?

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可視総合光線療法

光線治療。ひと口にそう言っても光線にも種類がある。紫外線や遠赤外線…。

コウケントーは正式には「可視総合光線」だ。

この治療に用いられる光と熱のエネルギーは、下記の効果が期待できる。

・血行を改善し、術後の患部の炎症物質や老廃物を取り除く。

・肉芽再生作用によって、皮膚をきれいな状態に戻す。

・消化機能が向上されて、食欲が出る。

・よく眠れるので、全身の状態を整えやすい。

・内分泌系や自律神経系が調節されるので、ダメージを受けた細胞や臓器の働きが回復される。

・免疫力を上げるビタミンDが作られるので、継続すれば再発予防や進行抑制になる。

こんなに効果があるのであれば、そこまでコウケントーを信じていない人であっても、一般的な治療を病院で行ってもらい、その後で使ってみるという選択肢もありということになるかもしれない。(すべては、自分の選択による自己責任だが…)

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照射方法

術後の痛みや、皮膚の引きつり

放射線の後の痛痒さ

抗がん剤による手足のしびれや、吐き気、手足の黒ずみ体重減少

この様な症状に苦しんでいた患者さんたちが、2週間~3か月ほどで緩和された体験をしている。

体力の消耗がひどい場合は、周囲の人の協力がなければ毎日続けることは難しいだろうが、それでも最悪自分でしなければならないとしたら、まずは足の裏だけでも長めに照射するなら、その間に体力が湧いて、他の部位にも当てられるかもしれない。いや、足裏だけでもいいのだ!!!

とにもかくにも

体にチャージ!

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コウケントー光線治療の由来 その1


光線治療ことはじめ

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コウケントー…

こんなに地味にすごい家庭用医療器機を誰がどうやって考えたのだろう…(他にも光線治療機器は幾つかあるが、ここは一押しのコウケントーということで)

以前から関連の本は読んでいたが、誰が発明したかと言われると、微妙に分かりにくく、「由来はヨーロッパ、完成したのは日本人」といった、分かったような分からないような曖昧な答え方をしていた。

しかし、これ程の効果を熱弁する以上は、もっと正確に知っておくべきではないだろうか?

ということで、じっくりと調べてみた。

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スタート地点

光線治療と言ってもさかのぼれば、もともとは日光浴?!

18世紀中ごろにオーストリアで日光療養所が開設されたころがスタート。

日光療法に科学的根拠を与えたのは、“日光療法の父”と呼ばれているイギリスのダウンスとブラント。1877年に、太陽光には殺菌作用があることを発見した。次いで殺菌効果の作用波長は紫外線であることも明らかに。この頃より日光療法は飛躍的に発展する。

1903年、スイスの外科医ロリエ博士は、アルプスの山中に日光療養所を造り、結核治療に効果を挙げる。

と、ここまでが、本物の太陽光。

しかし、本物はいつでも出ている訳ではない。天気が悪かったり、夜だったりしたら使えないのである。

では、いったいどうすればいいのだ??

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人工太陽?!

1880年代、最初に明かりを発明したのは、かの有名なエジソン。しかし、この電球では、太陽光の代わりにはならず、治療には使えなかった。

その後、1893年!!

出典:Wikipedia

デンマークのニールス・フィンゼンという人物が、世界初のカーボンアーク灯(太陽光線と同じ連続スペクトルを強力に放つ器機)を考案。 彼は、不治の病と言われた「尋常性狼瘡」の病院を開院し、光線療法を用いて成果を収め、この功績を評価されノーベル医学生理学賞を受賞。(1903年)

さらに、ドイツのアドルフ・ウィンダスが、紫外線によって皮膚下で光合成されるビタミンD3の化学式を解き(1938年)、この功績によりノーベル化学賞を受賞。これを機に、広まったのが改良されたフィンゼン灯

この小型に改良されたものを、東京大学皮膚科医・土肥慶造博士が持ち帰り、皮膚科の治療に効果を上げた。全国でも使われた。

しかし紫外線を出すことだけに注目されていたフィンゼン灯は、水銀電気灯に取って代わられることになった。なぜなら水銀に電流を通して熱すれば、火花もなく手軽に多量の紫外線が得られたからだ。(残念ながらこの時点でフィンゼン灯は、本来発揮できるはずであった応用範囲を失って姿を消すことに…。)

ところが、太陽の力は紫外線だけではなかった。ここで、その他の太陽の発する光の種類を研究し、実験し、現在のコウケントーにまでつなげたのが「黒田保次郎氏」である。

なお、黒田保次郎氏の孫・黒田一明氏(医学博士)が2016年に取材を受けた記事にも簡単にいきさつが掲載されている。こちらから

興味深いことに、この黒田保次郎氏は医師でも学者でもない。もともとは農業、26歳からは米穀肥料の商人という医学とは全く無縁な環境の人物だ。いったい何が転機だったのか?

その2へ続く

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コウケントー光線治療~半身不随になった著名人 その2

半身不随患者への光線治療

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「鈴木喜三郎」氏への治療は、上半身と下半身を交互毎日1回、25分ずつ行われた。冷えていた指先から肩が15回ほどの照射で腕の辺りまで温かくなった。足も膝下まで体温が上がった

この頃、総理大臣になった「平沼騏一郎」氏が就任の挨拶に来た際、患者は発病依頼出たことのなかった応接室まで出て、しかも疲れることなく2時間も話ができたことを家の人は喜んだそうだ。20-30分で疲れていた治療前と比較すれば、かなり気力が増したことがうかがえる。それから2-3日後には貴族院に登院できるようになったのだから変化は歴然であった。

照射20回目ごろから全く動かなかった右手の指が動き出した。しかし当初30日限定の治療の約束だったため、最終日の治療の後にこう切り出したそうだ。

黒田氏「本日で、お約束の30回の治療が終わりました。ついてはどのくらい良くなったかをこれからお試ししたいと存じます。」

鈴木氏「(大声で)試す必要はない。他の者にはよく効くようだが、おれにはちっとも効かない。かえって悪くなった。この2,3日は腕が痛んで夜もよく眠れない!」

この反応は、予想だにしないものであった。

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無口とはいえども…

実は、この30日間治療に当たってきた黒田氏が耳にした、鈴木氏の第一声がこのセリフだったのだ。(毎回最初と最後に挨拶しても、黙礼程度の会釈のみで口はきかなかったそうだ。)

事情は分からないが、人間としての最低のマナーとして「挨拶ぐらいはしっかりしなさい」と、教えられなかったのだろうか?おまけに、30日も世話になっておきながら、最初に発した言葉がクレームだとは、何様なのだ!…と、こうした感情が沸き上がるのも無理はないと思うのだが、黒田氏はクレームに上ったひとつの言葉に着目した。

他の者にはよく効くようだ」という一言である。

これは、鈴木氏の4歳の孫の「麻疹」が1週間で治癒したこと、死んだと思われたチャボ(体温が残っていた)の復活、書生(住み込みの学生)の急性盲腸炎とヘルニアの合併症が良くなったこと・・・これら事実を加味しての発言だったようだ。

チャボ

こうした、かなり面倒な反応の患者に果たしてどう対応したのか?

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クレーマー対応

ここで黒田氏は、患者の顔を観察する。横を向いて心なし渋い面持ちであるけれど、怒っているという程にも見えなかった。そこで静かに患者のほうに向き直り、こう尋ねる。

黒田氏「私は日々の経過が順調にきているように考えまして、悪い点に気付きませんでした。悪くなったところがおできになったとすれば恐縮です。悪いところは、多少にかかわらずおおせ願いとう存じます。」

鈴木氏「4,5日前から、右の腕が痛み始め、夜もおちおち眠れなくなってしまった。」

黒田氏「腕が痛むのは症状が悪くなったためではなく、経過が良い証拠です。すなわち最初に伺った際には、右手が肩から指先まで麻痺して、腕を動かすこと、手首を曲げること、指は五指全部が少しも動かなかった。…(中略)…足の歩行力と手の自由が復活してきた今日では、運動神経、知覚神経等いずれも並行して賦活化(活性化)したわけです。したがってこの痛みは一時的なものであり、これ以上悪化する心配はありませんから、今しばらくご辛抱くだされば自然に良くなります。」

こうしたやり取りの後、回復の兆候の指標となるテストを幾つか行ったうえで、帰りの挨拶をしたところ、患者は突然大声でこう言った。

「もう1か月治療に来てくれ!」

そこで5日に1回ずつ、1か月で6回、その後は自宅で毎日光線照射をやってもらうことになったそうな。

めでたし、めでたし。

—ここで黒田氏の対応から学べる教訓をひとつ。

無礼なクレーマー(?)の言い分にも、とりわけ丁寧な言葉遣いで、誠心誠意対応するなら、多くの人が救われるチャンスが開かれる。

「この人はダメ」と烙印を押す前に、何か歩み寄れそうな手掛かりを探し、そこを突破口に、言い分をよく聞きだし感情移入できるところは十分に行い、誤解があれば親切な仕方で事実を示す。

人格的に練れていなければ、なかなかできないことである。しかし、誰かを助けたいのであれば、こうしたスキル、いや「」は必要不可欠であろう。

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