コウケントー光線治療~半身不随になった著名人 その2

半身不随患者への光線治療

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「鈴木喜三郎」氏への治療は、上半身と下半身を交互毎日1回、25分ずつ行われた。冷えていた指先から肩が15回ほどの照射で腕の辺りまで温かくなった。足も膝下まで体温が上がった

この頃、総理大臣になった「平沼騏一郎」氏が就任の挨拶に来た際、患者は発病依頼出たことのなかった応接室まで出て、しかも疲れることなく2時間も話ができたことを家の人は喜んだそうだ。20-30分で疲れていた治療前と比較すれば、かなり気力が増したことがうかがえる。それから2-3日後には貴族院に登院できるようになったのだから変化は歴然であった。

照射20回目ごろから全く動かなかった右手の指が動き出した。しかし当初30日限定の治療の約束だったため、最終日の治療の後にこう切り出したそうだ。

黒田氏「本日で、お約束の30回の治療が終わりました。ついてはどのくらい良くなったかをこれからお試ししたいと存じます。」

鈴木氏「(大声で)試す必要はない。他の者にはよく効くようだが、おれにはちっとも効かない。かえって悪くなった。この2,3日は腕が痛んで夜もよく眠れない!」

この反応は、予想だにしないものであった。

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無口とはいえども…

実は、この30日間治療に当たってきた黒田氏が耳にした、鈴木氏の第一声がこのセリフだったのだ。(毎回最初と最後に挨拶しても、黙礼程度の会釈のみで口はきかなかったそうだ。)

事情は分からないが、人間としての最低のマナーとして「挨拶ぐらいはしっかりしなさい」と、教えられなかったのだろうか?おまけに、30日も世話になっておきながら、最初に発した言葉がクレームだとは、何様なのだ!…と、こうした感情が沸き上がるのも無理はないと思うのだが、黒田氏はクレームに上ったひとつの言葉に着目した。

他の者にはよく効くようだ」という一言である。

これは、鈴木氏の4歳の孫の「麻疹」が1週間で治癒したこと、死んだと思われたチャボ(体温が残っていた)の復活、書生(住み込みの学生)の急性盲腸炎とヘルニアの合併症が良くなったこと・・・これら事実を加味しての発言だったようだ。

チャボ

こうした、かなり面倒な反応の患者に果たしてどう対応したのか?

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クレーマー対応

ここで黒田氏は、患者の顔を観察する。横を向いて心なし渋い面持ちであるけれど、怒っているという程にも見えなかった。そこで静かに患者のほうに向き直り、こう尋ねる。

黒田氏「私は日々の経過が順調にきているように考えまして、悪い点に気付きませんでした。悪くなったところがおできになったとすれば恐縮です。悪いところは、多少にかかわらずおおせ願いとう存じます。」

鈴木氏「4,5日前から、右の腕が痛み始め、夜もおちおち眠れなくなってしまった。」

黒田氏「腕が痛むのは症状が悪くなったためではなく、経過が良い証拠です。すなわち最初に伺った際には、右手が肩から指先まで麻痺して、腕を動かすこと、手首を曲げること、指は五指全部が少しも動かなかった。…(中略)…足の歩行力と手の自由が復活してきた今日では、運動神経、知覚神経等いずれも並行して賦活化(活性化)したわけです。したがってこの痛みは一時的なものであり、これ以上悪化する心配はありませんから、今しばらくご辛抱くだされば自然に良くなります。」

こうしたやり取りの後、回復の兆候の指標となるテストを幾つか行ったうえで、帰りの挨拶をしたところ、患者は突然大声でこう言った。

「もう1か月治療に来てくれ!」

そこで5日に1回ずつ、1か月で6回、その後は自宅で毎日光線照射をやってもらうことになったそうな。

めでたし、めでたし。

—ここで黒田氏の対応から学べる教訓をひとつ。

無礼なクレーマー(?)の言い分にも、とりわけ丁寧な言葉遣いで、誠心誠意対応するなら、多くの人が救われるチャンスが開かれる。

「この人はダメ」と烙印を押す前に、何か歩み寄れそうな手掛かりを探し、そこを突破口に、言い分をよく聞きだし感情移入できるところは十分に行い、誤解があれば親切な仕方で事実を示す。

人格的に練れていなければ、なかなかできないことである。しかし、誰かを助けたいのであれば、こうしたスキル、いや「」は必要不可欠であろう。

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コウケントー光線治療~半身不随になった著名人 その1

半身不随!!

脳血管障害の後遺症で右半身が不随になってしまったある人物がいた。

ちなみに上の写真にある、「幕末オールスターズ」より後の時代の人物である。

(なんや~、幕末にコウケントーあったかと思ったわ!)

いやいや、コウケントーの治療実績は昭和2年からである。今回は、日本史上の人物という観点からのショットを1枚。

話は戻るが、時は昭和14年1月。日本史に名を残したこの半身不随患者、それが、鈴木喜三郎氏だ。

(誰やねん!)

『この方をどなたと心得る!恐れ多くも先の副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ!』

(・・・)

いやいや、黄門様ではなかった…この「鈴木喜三郎」氏、1867年生まれの日本を代表する政治家である。

そう、日本史、特に近代史が得意な方ならすぐに分かるのだろう。しかし、自身は、苗字が「鈴木」という時点で覚えるのをあきらめてしまう根性なし。

(ちょいと、全国の鈴木さんに失敬やないか! 謝りや~)

はい、すみません。だが、個人的には「鈴木」のみならず「佐藤」も「伊藤」も似たり寄ったりだ。かろうじて「伊藤博文」ぐらいではないだろうか、まともに顔と名前が一致するのは…。

そこでとりあえずこの人物を調査。

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鈴木喜三郎
すずききさぶろう

[生]慶応3(1867).10. 川崎
[没]1940.6.24. 東京
司法官,内相。 1891年東京大学法科卒。同年司法省に入り,司法次官,検事総長を歴任。 1924年清浦内閣の司法大臣として入閣。 27~28年には立憲政友会による田中内閣の内務大臣に就任。内務省の地方官人事にのぞみ,露骨な政友会優遇の党派人事を強行。さらに 28年の第1回普通選挙に干渉した。同年の第 55回議会ではその非を責める尾崎行雄の政治国難決議をはじめとする中野正剛らの攻撃に屈し,同5月3日単独辞職を余儀なくされた。その内相在職中には治安維持法改正,特別高等警察の拡充,三・一五事件による共産党の大検挙などがあり,昭和初期を特徴づける治安問題を強力に推進したことで知られる。 31~32年再度法相。 32~39年政友会総裁鳩山一郎の義兄。 
   ―ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より
知らなかった・・・なかなかの人物であった。
鳩山由紀夫鳩山邦夫の祖父「鳩山一郎」の義理のお兄さんだったとは。
そうやって、政治家は身内の政略結婚で力を強化してきたのだろう、多分…。
鳩山一郎没後50年祭で献花を終えた鳩山由紀夫民主党幹事長(左)と鳩山邦夫総務相=東京都内のホテルで2009年3月7日、北村隆夫撮影 —毎日新聞より
と、前置きが長くなったが、このようなたいそうな著名人…
(おいおい、知らへんかったやろ!)
はいはい、すみませんねぇ。
訂正→「歴史と政治が得意な方々にとっての著名人」が、半身不随の治療のためにコウケントーを使ったというのだから非常に興味深い。

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症状

右手が運動不能で指先まで少しも動かない。右足は前に伸ばして屈伸すると、約15センチくらい伸び縮みはでき、介助して立てさせれば、支えられながら室内をソロソロと歩くことはできた。言語障害等はなかったが、来客と20-30分話しただけで疲れ、寝たり起きたりして過ごしていた。

光線治療の紹介者

こんな症状で苦しんでいたところ、なんと義理のお兄様、そう、あの鳩山一郎氏が光線治療を依頼してきたのだ!!

実は鳩山氏、自分自身が肋間神経痛に悩まされていたが、光線治療で経過が良かったため、妹の夫である「鈴木喜三郎」氏にもこの治療法を薦めたのだ!

(家族愛やね~…知らんけど。)

ちなみに、当初は半身不随ではなく「神経痛」と思っていたようだ。

さて、この近代日本史を代表する政治家から紹介を受けた大物政治家に、果たしてコウケントーは効果を発揮できるのだろうか?

その2へ続く

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コウケントー光線治療~美容効果はあるか?

治療と美容

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女性に限らず、最近は男性も美容に気を配る人が増えているそうだ。男性が化粧をするなど、一昔前には予想もしなかったことだ。

しかしながら、男女を問わず、老化を喜ぶことはできないのは紛れもない事実である。

せめて少しでも若くなれないだろうか…。こうした願望を叶えるため、巷ではエステサロンが次々と現れている。

さてここで考えるのは、治療をうたっているコウケントーが、果たして美容にも役立つのだろうかという点だ。

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芸者から学ぶエステ効果

実は以前、日本橋に光線治療所があったころ、この近くには多くの花柳界があり芸者さんもたくさんいたそうだ。そんな彼女たちの中に美容目的でコウケントーを活用していた例がある。

芸者さんたちは、だいたい夜6時から午前0時まで6時間ほど働くのだが、その準備段階で光線を照射するのだ。(カーボン3001・集光なしで上半身のみ20分)すると、夏以外は一晩中化粧直しをしないでも済む。夏は、通常30分から1時間おきに化粧を直すところ、荒れ性の人でも2時間前後はもつ。肌が良ければ一晩で1,2回で良いので、化粧用として光線治療器を備えていた芸者屋も多かったそうだ。

美肌のための照射方法

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体験談

実際、身内が顔面神経麻痺の治療をコウケントーで行った際、麻痺した側を毎日照射した結果、何とシミが明らかに薄くなり、肌も白くなったのだ!!

2017年5月22日に兵庫県・姫路セントラルパークで生まれたホワイトライオンの赤ちゃん—毎日新聞より

コウケントーには美白効果が?!

 

しかしながら、人によっては注意が必要である。自分の場合、アトピーのような症状で顔に出た湿疹を治そうと、光線を照射したところ、顔の皮膚がビリビリにむけて、一時的にではあるが大変なことになってしまったからだ。

恐らくこれは、湿疹ですでに皮膚が傷ついてしまっているところに、光線が照射されることで、その下にある新たな皮膚の再生が速まったからだと思われる。その結果、古い皮膚が夏の日焼けのよう剥けて、一旦は新しい皮膚と古い皮膚のまだら模様になってしまう。そこを乗り越えて照射を続ければ、そしてかゆみがあっても掻かずに皮膚を傷つけなければ、すべてが再生して「脱皮」が終了する。

(脱皮って、あんさん昆虫かいな?)

そう、皮を脱ぐという点においては、共通している。違うのは、見た目を気にするというところか?

といことで、皮膚の状態がよろしくない人が、美容のためにコウケントーを当てようと思うのであれば、長期休暇の時期を選んで数日かけて再生をもくろむのがおすすめ。どうしても急ぎということであれば、大き目マスクでしばらく顔を覆って過ごすという手もある。

皮膚が弱くない人であれば、すぐに肌の調子の好転を感じられると思われる。

いずれにしても、病気の治療のためではないので、それほど気にせず、軽い気持ちで行う「自己人体実験」と思ってチャレンジしてみてはどうだろうか?

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コウケントー光線治療~悪性リンパ腫との戦い!!

血液のガン

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ガンはガンでも血液のガン。

その中に、「血液の三大悪性腫瘍」と呼ばれる白血病・多発性骨髄腫・悪性リンパ腫がある。

今回は、悪性リンパ腫について。

悪性と名前が付く以上、良性もあるかと思いきや、「リンパ腫」はすべて悪性なのだそうだ。かなり紛らわしいが、一般人にダイレクトに理解できるよう「悪性」を付けるのが習わしなのだ。

これこそ「○○組」が、クラスなのか土建屋なのか、はたまた暴力団なのか分からない時に使ってほしいテクニックである。

悪性リンパ腫は、身体の中の免疫細胞であるリンパ球がガンに変異したもの。

(リンパ球とは白血球の1種で、体内に侵入したウイルスや細菌を退治する重要な役割を果たしている。)

この病にかかると、リンパ球がガンに変異することにより、リンパ節やリンパ管がガン化し、リンパ節の腫れやしこりができる。

リンパ系は全身を巡るため、全身のどこにでも発生する可能性があり、リンパ節やリンパ管のみならず臓器に発生することもある。

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照射方法

カーボンの違いは多少あるとはいえ、大方の病気の照射方法は似通っている。

ある程度使いこなせてくると、「ああ、いつものアレね。」と、馴染みの食堂の定食セットのような組み合わせに思えてくるから不思議である。

(ホンマかいな?!)

さすがに、こうした重大な病気に関しては、しっかりと病院で診断を受けてから光線治療に当たるのが望ましい。そして、その状況を直接光線研究所併設の診療所へ行って、もしくは手紙で伝えて今後の方針を聞けば、多くの症例の中から一番良い方法を提示されるはずだ。

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注意点と効果の目安

病院に行くことがままならない事情があり、しかもカーボンとコウケントー本体が自宅にあって、取り急ぎ対処したい場合、上記のような照射をするなら免疫力が高まって症状の改善は期待できよう。

ただ、ステロイド剤を用いていた人や太陽光線に普段あまり当たらない人などの場合、コウケントーの熱と光が強すぎてしまうこともある。心配であれば(照射が気持ち良いと感じられない等)最初は足の裏とひざ辺りから5分~10分と慣らしていき、照射箇所を増やしていく方が無難かもしれない。

いずれにしても、効果があるかどうかのバロメーターは

「温泉に入っているような心地よさ」

である。もしそのように感じられないのであれば、カーボンの種類を変えて試してみることが勧められている。

一発目でふさわしいカーボンに巡り合わないと、自分には合わない…と弱気になってしまうかもしれないが、必ずあるはずだと信じて、せめて3~4種類は試してみてほしいものだ。

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ノニジュースと難病!~潰瘍性大腸炎

血便といったら赤痢?!

ある日突然、身内が腸の粘膜の混じったような血便に見舞われた。

ちょうど、アジア方面から帰国して数日後のことであった。渡航者の血便といったら「赤痢」では?!

すぐに脳裏によぎったのは、以前ニュースで見たことのある、「白衣でガードした保健所の人達が、発症者の自宅に白い粉を撒いて消毒をしている」光景であった。

この血の気のない青ざめた患者の心配もさることながら、自宅に保健所の人たちが踏み込んでくることへの心配で非常に焦った。全国ニュースでTVに映るかも?部屋中片づけなければ…

(おいおい、ちょいと気早すぎるんとちゃうか?)

そうだ。つい得意の「妄想癖」が暴走してしまった。

結局、そんな心配は取り越し苦労。総合病院で付いた病名は「潰瘍性大腸炎」であった。

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難病指定 潰瘍性大腸炎とは

主な症状:血便、粘血便、腹痛、下痢

悪化すると:体重減少・貧血・発熱。

腸以外の症状:関節炎・膵炎・皮膚症状など

原因:不明。(自己免疫の異常・遺伝的素因・食生活・腸内に生育している細菌の変化・ストレスなどの重なりなどが疑われている。)

日本で最も多い難病。一般に若い人に多く発症する。(ちなみに、これを罹ったからといって、自分は若いのだと思うのは大間違いである)回復したと思っても、数ヶ月、数年後に再発するパターンも多い。食生活に相当気を付けなければならないので、この患者を抱えた家族にとっては、非常に厄介で、ストレスになる。(このストレスで、次なる患者が出る負のスパイラルに陥りそう…)

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入院を断って

症状の重さから、担当医師はすぐに入院を勧めた。

しかし、仕事の都合上、どうしても入院ができない日程だったため、それを断り大量の「経口栄養飲料(バニラ風味)」を買わされて帰宅した。

食事の代わりにそれを朝晩摂るように、肉類は絶対に食べてはならない安静にしているように」…といった細かな指示があれこれと与えられてきた。そして、「具合が悪かったら即入院できるようにしておくので、すぐ連絡をよこすように」とまで言って心配してくれたそうだ。ありがたし。

実はこの頃は、我が家はノニジュースデビュー後まだ間もない時期であった。いろいろな炎症や痛み、出血も抑えると聞いてあったので、2時間おきに30㏄ずつ飲むことを勧めた。すると、土曜・日曜の2日ほどで症状が治まり、月曜には仕事に出掛けたのだ!

その日、心配した担当医から直々に電話があった。

「どうですか?いつでも入院できますが。」

「あの…仕事に出掛けてます…」

「えっ??…そ、そうですか…それならいいですけど…」

と、こんなやり取りとなった。後日、病院へ行くと何と症状が治まっていたため、医師も不思議がっていた。

そんなこんなで、大量のバニラドリンクも4-5缶飲んで終わり。そのうち禁止されていた肉も食べだしてしまう始末。

本当に大丈夫なのか心配もしたが、ノニジュースで腸が回復したようだ。結局、入院するよりも早い道のりで対処できたと思える。食事制限のストレスもなく済み、全国の悩める「潰瘍性大腸炎 家族の会」の方々に(もちろん、患者ご本人にも)教えてあげたい気持ちでいっぱいであった。

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