SHIBAINU福ちゃん とある1日

~平凡な一日~

人間がそうであるように、犬にも平凡な日々がある。

平凡―これはある意味において、幸せと言えよう、何も事件が起こっていないからこそ平凡に過ごせるのだ。

ここで福ちゃんのとある一日を切り取ってご覧いれよう。

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ドライブはお好き?

福ちゃんは、散歩はもちろんのこと、ドライブも大好きである。これは、たいていの犬に共通していることだ。

しかし、猫に関して言うならば、そこは同じ定番ペットでありながら、全く異なる性質だ。

(同じペットって…犬と猫は全然違うやろ!!くくりがざっくり過ぎやっっ!!)

以前一度、飼っていた猫を犬のように散歩させようと、車に乗せて某森林公園に出掛けたことがある。さて、どうなったか??

出発と同時に車内で不安な声で鳴きまくり、おとなしくできない。それでも現地に着けば安心するだろうと思いきや、それどころではなかった。

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傍迷惑

到着して車から降ろすなり、脱走っ…しかかったが、寸でのところで阻止!持参したロープを首輪につなぐ。すると、今度は聞き分けのない犬が散歩をしている時のように、飼い主を引きずるような勢いで走る。

はるばる連れてきたが、3分と持たなかった。これではカップ麺も作れない。―ここで思い知った。猫は犬と全く異なる性質であると。

(そもそも猫は、外出が嫌いなんやっ!そっとしてやり~)

知らなかった。親切のつもりでしたことが、こんなにも傍迷惑だったとは。すまない。

猫は、自分のテリトリーでゆっくり気ままに過ごす平凡な一日が、最も幸せなのだろう。

余談であるが、この帰り、落ち着きのない猫の動きに気を取られ、コンビニの電柱にバックでぶつけた。(幸い、修理不要の軽い自損で済んだが…)余計なことは、するものではない。

教訓:親切の押し売りは不親切。相手の好みを研究すべし。

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SHIBAINU 福ちゃん エクササイズ

~人犬関係~

最近、めっきり運動する機会が減っている。健康のために必要だと分かってはいるのだが、なかなか実行が伴わない。

その点、犬を飼うことは、否が応でも散歩に出かけなければならない状況に自分を追い込んで、渋々であっても運動をせざるを得なくなるのではなかろうか?

(渋々なんて…ちょいと、あんさん、全国の愛犬家を敵に回しまっせ~)

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散歩の意義

そうだった。愛犬家にとっては、お散歩は至福の時間である。日常の嫌なこともしばし忘れ、自らも体を動かすことによって、ストレスを軽減する絶好の機会である(恐らく。)

…だが、時に、聞き分けのない、我がままし放題の犬の場合は、飼い主にとっては散歩は苦痛となることもあるのかもしれない。

飼い主の都合などお構いなしに、

「散歩に連れて行け!さもなきゃ吠えまくってやるぞ!!」

と、借金取りさながらの凄みを利かせ(幸い未体験)、飼い主を支配し、自分の願望を遂げることすらあるのではなかろうか?もしこのような事になってしまっては、双方にとってまさに悲劇である。

飼い主とペットとの良好な関係が、「GIVE AND TAKE」で双方を癒し、幸せを増幅させてくれるのだと思う。

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SHIBAINU 福ちゃんのファッション

~装い~

今は、巷にファッション誌が溢れている。男女別にあるだけでなく、世代ごとに細分化されて編集され、書店の一角に勢ぞろいしている。

以前は、そうしたジャンルの雑誌の購入者層は若い女性が主に占めていたのではないだろうか。それが今や、小学生から高齢の男性に及ぶまであらゆる年齢層へと対象は広がった。

見回してみれば、確かに以前よりもオシャレな高齢者を見かけるようになった。小学生に関しては、もはや大学生のお姉さまもビックリ!という念入りなコーディネートやメイクをしていることすらある。

恐らくこれによって相当、日本の経済効果は上がっているのであろう。

(そりゃ、めちゃめちゃ、もうかりまっせ~)

しかしだ!あまりにそうした外見重視の傾向がエスカレートすることは、人の価値観をゆがめてしまう危険がある。痩せるため・美肌のために効果も怪しい高額な商品を購入したり、整形手術を繰り返したりする。整形を100回以上もしてとんでもないことになってしまった通称「扇風機おばさん」の悲劇は、その一例である。

(おったおった。元はえらいベッピンさんやった韓国の人や。)

また、「醜い人間には価値はない」として、逆にいじめの対象にすることもある。(アンデルセンの「みにくいアヒルの子」のお話も、そうした現代の社会の傾向を風刺した奥の深い童話である。子ども達には、この話の深い意味まで考えて、悟りを得て欲しいものだ。)

いずれにせよ、適度に品良く装うことは、マナーの上でも、自尊心を保つ上でも大切であるが、過度に見かけを気にすることは、本来の自分の価値を見失ってしまう危険がある。そのバランスをどう取るかは個々の課題であろう。

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ペットのオシャレ

その点、動物はどれだけ装った…いや、装わせられたとしても、決してそれによって自信過剰になったり、偏見で他の動物を見下すこともない。その純粋無垢さがかわいいのだ。

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人間は、動物たちから学べる事がたくさんある。福ちゃんには、いつまでもその真っ直ぐな瞳で周りの皆をなごませていただきたい。

16-08-18-22-47-36-752_deco[1]頼むよ、福ちゃん!!

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SHIBAINU 福ちゃんの事件簿

 ~犬の嗅覚~

犬が臭いを嗅ぎわける能力は、人間の1000倍とも1億倍とも言われている。

(えらいザックリな数字やな~。)

確かに、「1億円くれると言われて、もらいに行ったら1000円だった…」という負のどんでん返しに例えるなら、1000と1億の差は許しがたいものである。

(そりゃ~、もう裁判ものでっしゃろな。)

ただ、犬の嗅覚の場合は、犬種によっても鼻の長さが異なり、また嗅ぎ分けるのが得意な臭いと、不得意な臭いがあるようなので、こうした大幅な差がでてくるらしい。

いずれにしても、犬たちの活躍の場を見るなら、彼らの嗅覚の素晴らしさはお墨付きである。

警察犬として、活躍することはよく聞くが、他にもいろいろな仕事に関与している。例えば、人の呼気や尿からガンの臭いを検出する「ガン探知犬」はその一例だ。

ハイテクマシンでなければできないこと、いや、マシンですらできないことが、犬にはできてしまうのだ。

福ちゃんも、そのお友達も、みんなみんな素晴らしい潜在能力を秘めているのだ。

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名探偵 福ちゃん

いつものお散歩で会う友達。

今日は、何があったかな?

注:この動画はフィクションであり登場人物・団体名等は福ちゃんとわさびちゃん以外は架空のものです。

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番外編

さらに意外なところでの、犬の活躍の場として、「クジラの糞探知」というものがある。

(糞探知…って、冗談やろ)

いや、本当にいるのだ。「糞探知犬」なるものが。

マッコウクジラの糞で一攫千金ができると聞いた事がある。ただしこれはただの糞ではない。竜涎香(りゅうえんこう)と呼ばれる超高級香料だ。糞といっても、単なる排泄物ではなく、結石のようなもので、熱した針をそれに当てるとたいそう良い香りの煙が出るそうな。

ということで、このお宝を探すために犬を使うのか…と思いきや、そうではなかった。研究者たちが、クジラの生態をはじめとする生物学的な情報を得るためにサンプルとして糞を必要とするのだ。「糞探知犬」は彼らのために活躍する。

犬だけに「ワン」ダフルな存在だ。

(山田く~ん、座布団全部持ってって~)

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SIBAINU BABY-福ちゃん

~出会い~

人と人との出会いは、人生を変える。単なる「通行人A」であっても、そのタイミングで起こった何かの出来事で、一生お付き合いすることになる可能性もあるのだ。その出会いは人と動物にも当てはまる。

アニメ「あらいぐまラスカル」の主題歌を知っているだろうか?

(知らんがな。そないなマイナーな歌、よう知ってまんな~)

確かに。どうでも良い事ほど記憶に残ってしまうのはなぜだろうか・・・

それには、こんな一節があった。

神様ありがとう ぼくに 友達をくれて
ラスカルに 会わせてくれて ラスカルに 会わせてくれて 
ありがとう ぼくの友達 ラスカルに 会わせてくれて 

 ―あらいぐまラスカル オープニング「ロックリバーへ」より

そうだ、どんな出会いにしろ、それがもし人生を良い方向へと転換させるものであれば、神様に感謝しよう。

ここで、出会った頃の福ちゃんの姿をご覧あれ。

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~考え方次第?~

福ちゃんのような、心を癒してくれる存在と出会えたことは、喜べるだろう。しかし、もし心をかき乱すような存在と出会ってしまったなら、どうだろうか?

(そりゃ、神様を恨みまっせ~)

もちろん、だれかを恨みたい気持ちには、なるであろう。

「あの日、あの時、あの場所で、あの人に出会わなければ、こんな事にはならなかったのに…」などと、ぼやくこともあるだろう。

(ある、ある。ホンマ、やんなるわ~)

しかし、会ってしまったものは、もはや取り消すことはできない。その状況と、あるいはその本人、あるいはそのペット(←どんな子だ?)とどう付き合っていくかが大切ではないだろうか?

そのことに目を向けすぎて、あまりにも悲観的になると、状況を改善したり、対応したりするエネルギーが失せてしまう。要は、自分がどう捉えるかー考え方次第ということだろう。

自分の場合も、いくらかそのような経験はあるが、振り返れば、そうした出会いは決して嬉しくはないものの、いろいろな事を学ぶ機会となった。それは、その後に会った人たちとの接し方や観察(考察)においても大いに参考となった。人は、そのようにして徐々に成長していくのだろう。

(ホンマは、単に老けたんやろ〜)

いやいや、この場合は老けたのではなく、【円熟した】という表現が適切であろう。

(自分で言うかっ?!)

きれいごとかもしれないが、神様を恨むよりも、神様に健全な考え方ができるよう助けを乞うことのほうが、前向きに「困ったさん」と取り組めるはずである。

いずれにしても、そういう緊張した関係に疲れた人たちを、ペットは癒してくれるのだ。

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ありがとう、福ちゃん♥

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