光線治療ことはじめ
コウケントー…
こんなに地味にすごい家庭用医療器機を誰がどうやって考えたのだろう…(他にも光線治療機器は幾つかあるが、ここは一押しのコウケントーということで)
以前から関連の本は読んでいたが、誰が発明したかと言われると、微妙に分かりにくく、「由来はヨーロッパ、完成したのは日本人」といった、分かったような分からないような曖昧な答え方をしていた。
しかし、これ程の効果を熱弁する以上は、もっと正確に知っておくべきではないだろうか?
ということで、じっくりと調べてみた。
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スタート地点
光線治療と言ってもさかのぼれば、もともとは日光浴?!
18世紀中ごろにオーストリアで日光療養所が開設されたころがスタート。
日光療法に科学的根拠を与えたのは、“日光療法の父”と呼ばれているイギリスのダウンスとブラント。1877年に、太陽光には殺菌作用があることを発見した。次いで殺菌効果の作用波長は紫外線であることも明らかに。この頃より日光療法は飛躍的に発展する。
1903年、スイスの外科医ロリエ博士は、アルプスの山中に日光療養所を造り、結核治療に効果を挙げる。
と、ここまでが、本物の太陽光。
しかし、本物はいつでも出ている訳ではない。天気が悪かったり、夜だったりしたら使えないのである。
では、いったいどうすればいいのだ??
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人工太陽?!
1880年代、最初に明かりを発明したのは、かの有名なエジソン。しかし、この電球では、太陽光の代わりにはならず、治療には使えなかった。
その後、1893年!!
デンマークのニールス・フィンゼンという人物が、世界初のカーボンアーク灯(太陽光線と同じ連続スペクトルを強力に放つ器機)を考案。 彼は、不治の病と言われた「尋常性狼瘡」の病院を開院し、光線療法を用いて成果を収め、この功績を評価されノーベル医学生理学賞を受賞。(1903年)
さらに、ドイツのアドルフ・ウィンダスが、紫外線によって皮膚下で光合成されるビタミンD3の化学式を解き(1938年)、この功績によりノーベル化学賞を受賞。これを機に、広まったのが改良されたフィンゼン灯。
この小型に改良されたものを、東京大学皮膚科医・土肥慶造博士が持ち帰り、皮膚科の治療に効果を上げた。全国でも使われた。
しかし紫外線を出すことだけに注目されていたフィンゼン灯は、水銀電気灯に取って代わられることになった。なぜなら水銀に電流を通して熱すれば、火花もなく手軽に多量の紫外線が得られたからだ。(残念ながらこの時点でフィンゼン灯は、本来発揮できるはずであった応用範囲を失って姿を消すことに…。)
ところが、太陽の力は紫外線だけではなかった。ここで、その他の太陽の発する光の種類を研究し、実験し、現在のコウケントーにまでつなげたのが「黒田保次郎氏」である。
なお、黒田保次郎氏の孫・黒田一明氏(医学博士)が2016年に取材を受けた記事にも簡単にいきさつが掲載されている。こちらから
興味深いことに、この黒田保次郎氏は医師でも学者でもない。もともとは農業、26歳からは米穀肥料の商人という医学とは全く無縁な環境の人物だ。いったい何が転機だったのか?
その2へ続く
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