コウケントー光線治療の由来 その3

光線治療研究所OPEN!

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昭和7年に東京・日本橋でスタートした研究所。2つのことがここで行われた。

1.通える希望者には無料で治療。

通えない人には1か月間治療器無料貸し出し。器機の持ち込み・引き取り・カーボンも研究所が負担。やり方も出張指導。

(ちょいと親切すぎとちゃう?) ホントに…

2.競走馬(病馬・健康馬)に照射。(新しい療法に対し、精神的影響がないから)

蚕・鶏・稲・大豆でも実験。

…と、まずは研究所らしく、データを得るための活動に専念。

そして確実に効果を上げたため、後に有料での治療や、器機の販売も手掛けるようになった。また、患者が自分も治療業者になることを願い、講習を受けてから警察に届け出を出して開業するという例が後を絶たなかった。そのため東京だけでも光線治療業者は150名以上あった。

競走馬に関しても、時価5万円の名馬が「エビハラ」になり、900円で売り飛ばされたのだが、獣医界の権威が1年以上かかっても治せなかったものを、4か月で治癒させた。

稲・大豆・蚕・鶏に関しても、生産量が15%アップ!(発育・産卵も)

鶏に関しては、去勢した雄の翼の内側の羽毛の薄い皮膚のところに左右5分の照射をしたところ、3か月後には睾丸がしたのだ。(注:輸精管まで抜き取られたものは再生しなかった)

農家出身、商人あがりの黒田氏の情熱が、医学界もびっくりの、ここまでの結果を出したのだ!!

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陸軍大佐の目に留まる

昭和15年の暮れ、某陸軍大佐が光線治療のうわさを聞きつけ、詳しいデータを求めてきた。医師に見せるようなデータはないものの、実績はあるので、試しに無料で治療を行うことを黒田氏が申し出たところ、5名の患者の治療を依頼された。

医薬と光線による治療の優劣をみる臨床実験となったが、なんと!(というか、当然という気もするが…)光線が優性であることが認められた。

こうして、航空総司令部は光線治療器を採用決定し、軍医たちにも黒田氏による講習が施されることになった。

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軍医たちの不満

軍司令部は、効果のあるものはどんどん採用するという姿勢だったのに対し、軍医部は医者でもない者に講義を受けるなどプライドが許さなかったのだろう。講義前日には、20名ほどの軍医たちが黒田氏の宿まで殴り込み…とまではいかなかったが、因縁をつけにやってきた。

こうしたことを受けて、翌日の講義の最後に黒田氏は、こう伝えた。

10名の患者のうち、半数以上にたった1回の治療ではっきりと光線照射の効果が証明されたならば、誠心誠意この治療の修習に励んでいただけるようにお願いいたします。

こうして割り当てられた10人は以下の病気

結核性骨膜炎・急性結膜炎・痔核/脱肛・脊髄カリエス・蜂窩織炎・角膜炎・脱疽・肺結核・扁桃腺炎・言語障害/嚥下不能

このうち効果不明だったのは2名のみ。あとは目に見えて効果があった。こうして平穏無事に軍医たちへの講習が行われ、軍でも光線治療が用いられた。(陸軍航空隊・海軍潜水艦乗員・政界や実業界の名士にまで及んだ。)

しかし、この後も普及が阻まれる事態が!!

その4へ続く

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コウケントー光線治療の由来 その2

太陽光線治療器

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前述のフィンゼン灯は、カーボンを用いて光を作るものだったが、黒田氏が最初に知ったのは、東や南側の窓から太陽光線をレンズで採光して患者に当てるというタイプのものだった。

東大の著名な医師にも見放された知人が、この装置で1日1回10分を2ヵ月間で40回(雨と曇りの日は休み)照射して元気に電車で通院できるまでになったことを知り、その治療に興味を持ったのがきっかけである。

彼は実際に治療所を訪ね、特許として澤田暁夢氏によって発明されていた太陽光線治療器を見させてもらった。

—余談であるがこの澤田氏、大正13年に光線にまつわる本も出版している。

陽太ルナ妙霊

出典:国立国会図書館デジタルコレクション

 

何の呪文かと思ったら、

「妙霊なる太陽の力」というタイトルだった。さすが、大正時代。右から読むのだった…

この中にも太陽の光がどれほど人間の健康に重要なのかが綴られていて、興味深かった。(国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができる。こちらから  Amazonでは古本が10,000円で売っていた…)

なお、黒田氏の訪ねた治療所を開いていたのは、光線治療に救われた患者本人で、社会奉仕として、多い日には50名ほどの患者の治療にあたっていた。

(えらい、ええお人やね~)

また同様の治療所が全国に120か所もあったことにも黒田氏は驚きを覚えたそうだ。

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 自分も試す

身内に、不治の病—脊髄癆で苦しんでいた甥がいたため、早速治療を開始。1か月ほどで症状が良くなったので、治療器(晴れの日のみのタイプ)を入手して自宅治療へと切り替えた。目に見えて回復したため近所でも評判となり、最初は懇意にしている人、そして次々と口コミで患者さんが押し寄せることに。

この頃、昼夜いつでも使える治療器ができたとの知らせが入った。

黒田氏は不思議なほどあらゆる患者に効果のあった治療器を、なぜ大学病院のようなところが採用しないのかと疑問に思い、尊敬している数人の開業医に話してみたそうだが、誰も関心を持たなかった

(そりゃ、そうやって!)

そこで、せめて自分の身内を守るうえでも、多くの患者を治療してみようと、昼夜用太陽光線治療器を2台入手し治療を始めたところ、朝6時ころから夜10時ころまで、患者がわんさと押し寄せた。

カーボンの費用が掛かるようになった3年目から有料(1回35銭)にしたが、それでも大盛況!!

黒田氏は、こう決心していた。

医者に死を宣告された患者3名を確実に治癒できたら、上京して光線治療業を行おう!

何と5年目で、できてしまった。

ということで、彼は、昭和7年に東京日本橋の旅館の4畳半の1室を借りての「光線治療研究所」を開くに至った。

その3へ続く

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コウケントー光線治療の由来 その1


光線治療ことはじめ

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コウケントー…

こんなに地味にすごい家庭用医療器機を誰がどうやって考えたのだろう…(他にも光線治療機器は幾つかあるが、ここは一押しのコウケントーということで)

以前から関連の本は読んでいたが、誰が発明したかと言われると、微妙に分かりにくく、「由来はヨーロッパ、完成したのは日本人」といった、分かったような分からないような曖昧な答え方をしていた。

しかし、これ程の効果を熱弁する以上は、もっと正確に知っておくべきではないだろうか?

ということで、じっくりと調べてみた。

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スタート地点

光線治療と言ってもさかのぼれば、もともとは日光浴?!

18世紀中ごろにオーストリアで日光療養所が開設されたころがスタート。

日光療法に科学的根拠を与えたのは、“日光療法の父”と呼ばれているイギリスのダウンスとブラント。1877年に、太陽光には殺菌作用があることを発見した。次いで殺菌効果の作用波長は紫外線であることも明らかに。この頃より日光療法は飛躍的に発展する。

1903年、スイスの外科医ロリエ博士は、アルプスの山中に日光療養所を造り、結核治療に効果を挙げる。

と、ここまでが、本物の太陽光。

しかし、本物はいつでも出ている訳ではない。天気が悪かったり、夜だったりしたら使えないのである。

では、いったいどうすればいいのだ??

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人工太陽?!

1880年代、最初に明かりを発明したのは、かの有名なエジソン。しかし、この電球では、太陽光の代わりにはならず、治療には使えなかった。

その後、1893年!!

出典:Wikipedia

デンマークのニールス・フィンゼンという人物が、世界初のカーボンアーク灯(太陽光線と同じ連続スペクトルを強力に放つ器機)を考案。 彼は、不治の病と言われた「尋常性狼瘡」の病院を開院し、光線療法を用いて成果を収め、この功績を評価されノーベル医学生理学賞を受賞。(1903年)

さらに、ドイツのアドルフ・ウィンダスが、紫外線によって皮膚下で光合成されるビタミンD3の化学式を解き(1938年)、この功績によりノーベル化学賞を受賞。これを機に、広まったのが改良されたフィンゼン灯

この小型に改良されたものを、東京大学皮膚科医・土肥慶造博士が持ち帰り、皮膚科の治療に効果を上げた。全国でも使われた。

しかし紫外線を出すことだけに注目されていたフィンゼン灯は、水銀電気灯に取って代わられることになった。なぜなら水銀に電流を通して熱すれば、火花もなく手軽に多量の紫外線が得られたからだ。(残念ながらこの時点でフィンゼン灯は、本来発揮できるはずであった応用範囲を失って姿を消すことに…。)

ところが、太陽の力は紫外線だけではなかった。ここで、その他の太陽の発する光の種類を研究し、実験し、現在のコウケントーにまでつなげたのが「黒田保次郎氏」である。

なお、黒田保次郎氏の孫・黒田一明氏(医学博士)が2016年に取材を受けた記事にも簡単にいきさつが掲載されている。こちらから

興味深いことに、この黒田保次郎氏は医師でも学者でもない。もともとは農業、26歳からは米穀肥料の商人という医学とは全く無縁な環境の人物だ。いったい何が転機だったのか?

その2へ続く

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歯医者難民、いい歯医者を探せ! その2

不要な治療か、必要な治療か?

病院にかかると、どうしても医者の言うことが絶対的に思えてしまう傾向が、特に日本人には強い気がする。それは、患者にも医師にも言えることだろう。だから、特定の治療を断ると「とんでもない非常識な患者だ」と思われてしまうことが多い。

だが、医療は選択だ。自己決定権がある。もちろんその分、責任も自分が負わなければならない。

ということで、歯の治療に関しても、納得のいかなかった自分は、「非常識患者」の汚名を背負いつつも、何とか某歯科医院を脱出し、セカンドオピニオンを得るべく、別の歯科医院を探し始めた。

その頃、テレビ番組で「あまり削らずに治療する方法」が取り上げられた。その方法を近隣で行っている病院を探した。比較的近場に該当する歯科があったので、そこに行くことに。

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セカンドオピニオン

来院の理由を「セカンドオピニオン」として受付を行い、いよいよ診察。事情を簡単に説明したところ、レントゲン等を用いて下された診断は?

「そんなことはありませんよ。ちょっとだけ虫歯ですけど、中は大丈夫ですよ。」

やはり・・・。勇気を持って逃げた自分に拍手を送りたい瞬間だった。

「どうされますか?」

こちらがセカンドオピニオンできているということだからであろう。当然治療をするという立ち位置からではなく、あくまでもこちらの意思を尊重するという姿勢だ。そうとなれば、こちらも信じてお任せしたい気持ちになる。そこで、治療もお願いした。

驚いたのは、その治療方法。本当に最小限しか削らないのだ。そして20分そこそこで治療が完了した。

あれほど、あれやこれやと治療を重ねなければならないと前歯科医に力説されていただけに、こんなに短時間で終わるとはいったいどういうことなのだろう?

(そんなん、詐欺にきまってんがな~)

そうは思いたくないが、ついついそう思えてしまう。

そして帰り際、受付で次回の予約か何かを促されると思いきや、全くその気配はなくただ「お大事に」とだけで送り出されそうになった。

慌てて、今後来なくていいのかを尋ねると、

「セカンドオピニオンですからね~」と笑顔で答える受付の女性。

驚いた。

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難民、ついにたどり着く!

正直、ここまで商売っ気のない歯医者があるとは驚きだった。

トータル的に考えて、こんなに良い歯科医がいらっしゃるとは思ってもみなかった。今後の「行きつけ」に即決定!

身内や友達にも紹介したが、みんな口をそろえて絶賛する。

まずはできるだけ今ある歯を大事に使わせる懇切丁寧な歯磨き指導、やたらと抜かない温存法削るとしても最小限。できるだけ最新の情報に通じて、効果的な情報・治療法はどんどん取り入れていく。

治療の時間も、患者一人一人にしっかりと取って、30分は必ず費やす。

歯科衛生士に対する態度も非常に丁寧で、常に敬語だ。

歯医者の鏡ではないだろうか。

こうして、歯医者難民生活は幕を閉じた。あとは、先生に長生きをしていただくことを願うのみである。

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歯医者難民、いい歯医者を探せ! その1

最近の歯医者

近年、コンビニエンスストアに並ぶ数の多さを誇る(?)のが、歯科医院である。そこかしこに見かけるため、患者もどこを選ぶか迷うくらいなのではないだろうか?

数年前のことであるが、行きつけの歯医者(喫茶店ちゃうで~。かかりつけって言いや~)が閉院したため、次なるところを探した。友人・知人やネットの評判などに当たってみたものの、それほど決め手となるものは見当たらなかった。仕方ないので、さほど悪くはなさそうなところに行くことにした。

最初は、自分が気になったちょっとした虫歯を診てもらい、数回かけて治療した。と、ここまでは良かったのだが、治療の具合を見せに来るように言われた最終日(☚自分的に)、

「はい、では今日からはここを削って治療していきます。」

と、いきなり言うではないか!!しかも、「ここ」というところを見ても、ほとんど問題がないようなレベルである。

ちょっ、ちょっ、ちょっちょっーと待ってよ、歯医者さん!

想定外の進展に、押し寄せる非常な焦り。

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歯科医 VS 過去の自分

「さあ、削りましょう」と言わんばかりにドリルを持って仁王立ちしている歯科医。

その瞬間、さかのぼること数年前の苦い記憶が蘇った。

それは、行きつけの歯科医(せやから「かかりつけ」やって)が決まる前、そう、歯医者難民の時代だ。別の歯科医院で同じように治療が済んだ後、「ここもちょと虫歯だからやっておきましょう」と言われ、疑うことを知らない純粋だった自分(今や過去形…)は素直に応じた。本当にちょっとだったので大したことにはならないと軽く考えていた。…が、結論から言おう。なんと、余計な治療を延々とされ時間とお金を取りまくられたうえ、見た目も酷くされてしまったのだ!!

その少し後に、テレビで儲け仕事にしている悪質な歯医者が急増しているという番組を見た。まさにそれだ!その後、友人も同じような被害にあちらこちらで遭った話を聞き、これはそこら中に蔓延している社会問題なのだと改めて実感した。

こんな事を、あたかも高速回転の走馬灯のように、焦った頭で3秒ほど思い返し、次の3秒で「ここは、絶対に阻止しなければダメだ、また同じ後悔をするぞ!」と自分を奮い立たせ、次の3秒で断り文句を考えた。

製作キットもある走馬灯

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まな板の上の鯉、何とか逃げる!

……

「あの、ちょっと今日は心の準備ができていないので…」

この切羽詰まった状況で、思いついたのがこの台詞。

明らかに、歯医者は「えっ?」というリアクション。なにせ、削る気満々のスタンバイ状態なのだ。こんな椅子に寝かされて、あとは切られるのを待つだけの「まな板の上の鯉」のような患者が異論を唱えるとは予想だにしなかったことだろう。

そこから、サッカーのロスタイムさながらの、歯科医の怒涛の攻撃が始まる。「これは、早く治療しておかないと大変な事になる。外は大丈夫だが、中の方が悪いので全部削って被せないといけない」等々…。

しかし鯉はもう逃げ出すことを決意していた。

「本当に、申し訳ないんですけど…」とか「気にかけていただいて本当にありがたいんですけど…」といった、「相手の怒りを鎮めるセリフ集」から引っ張り出したような言葉をいろいろと並べ、なんとか帰ることができた。

とりあえず、めでたし、めでたし。

その2へ続く

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