~出会い~
人と人との出会いは、人生を変える。単なる「通行人A」であっても、そのタイミングで起こった何かの出来事で、一生お付き合いすることになる可能性もあるのだ。その出会いは人と動物にも当てはまる。
アニメ「あらいぐまラスカル」の主題歌を知っているだろうか?
(知らんがな。そないなマイナーな歌、よう知ってまんな~)
確かに。どうでも良い事ほど記憶に残ってしまうのはなぜだろうか・・・
それには、こんな一節があった。
神様ありがとう ぼくに 友達をくれて
ラスカルに 会わせてくれて ラスカルに 会わせてくれて
ありがとう ぼくの友達 ラスカルに 会わせてくれて―あらいぐまラスカル オープニング「ロックリバーへ」より
そうだ、どんな出会いにしろ、それがもし人生を良い方向へと転換させるものであれば、神様に感謝しよう。
ここで、出会った頃の福ちゃんの姿をご覧あれ。
[ad#ads2]
[ad#ads1]
~考え方次第?~
福ちゃんのような、心を癒してくれる存在と出会えたことは、喜べるだろう。しかし、もし心をかき乱すような存在と出会ってしまったなら、どうだろうか?
(そりゃ、神様を恨みまっせ~)
もちろん、だれかを恨みたい気持ちには、なるであろう。
「あの日、あの時、あの場所で、あの人に出会わなければ、こんな事にはならなかったのに…」などと、ぼやくこともあるだろう。
(ある、ある。ホンマ、やんなるわ~)
しかし、会ってしまったものは、もはや取り消すことはできない。その状況と、あるいはその本人、あるいはそのペット(←どんな子だ?)とどう付き合っていくかが大切ではないだろうか?
そのことに目を向けすぎて、あまりにも悲観的になると、状況を改善したり、対応したりするエネルギーが失せてしまう。要は、自分がどう捉えるかー考え方次第ということだろう。
自分の場合も、いくらかそのような経験はあるが、振り返れば、そうした出会いは決して嬉しくはないものの、いろいろな事を学ぶ機会となった。それは、その後に会った人たちとの接し方や観察(考察)においても大いに参考となった。人は、そのようにして徐々に成長していくのだろう。
(ホンマは、単に老けたんやろ〜)
いやいや、この場合は老けたのではなく、【円熟した】という表現が適切であろう。
(自分で言うかっ?!)
きれいごとかもしれないが、神様を恨むよりも、神様に健全な考え方ができるよう助けを乞うことのほうが、前向きに「困ったさん」と取り組めるはずである。
いずれにしても、そういう緊張した関係に疲れた人たちを、ペットは癒してくれるのだ。
ありがとう、福ちゃん♥
[ad#ads1]