交通事故編 斡旋から示談まで ☆PART3

~横転の乱~

 えぇーっ!

これは、果たして事故の大きさに驚いているのか?

はたまたPCに無縁な世代の高齢者が、年齢不相応にハイテク機器を操って、(…いるように見える。単なる初心者の一つ覚え。)いとも簡単に事故状況を明瞭にした事への驚愕なのだろうか?

恐らくその両者であろう。いずれにしても看護師を含め一様に驚いていた。なぜなら

そこに、皆が見たのは、見るも無残な横転車両!

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 そうだ。今回のこの事故は、人生初の横転事故!!

THE O-U-T-E-N!

(ちょいと、あんさん、実は横転、楽しんでんのとちゃいまっか?

確かにすべてが終わった今となっては、これも遠い日の思い出の1ページ。

しかも、誰もが通る道ではないのだ。

そう考えると、これも1つの貴重な…いやいや、異常な体験。特別なオンリーワン♪

とは言っても、一体これを読んでいる何人が横転事故を経験しているだろうか?

そうだ。この場を借りて、「日本野鳥の〇○」の皆さん(注:大晦日に脚光を浴びていたあの方々)にカウントしていただこう。(カチ、カチ、カチ)

。。。。。。はーい、かなりの数、いらっしゃいましたね。

要するに、案外、横転事故は珍しくないのだ。実際、わたしの知人でも体験者は数人いる。また、この度の通院中、待合室で話した方々の中にも、相当ヒドイ横転の経験をされて、リハビリに通わなければならない状況を切々と語られる方も数名おられた。

まして全国区で戦えば

(戦うんかい?)

まだまだ上級者はごまんといることであろう。

よってこの程度の赤の他人の交通事故なんぞにはまったく興味のない人が大多数であることは百も承知だ。

しかしあえて、今後の誰かのために

(…誰や?)

そして、時と共に忘れるに間違いない自分の記憶の整理のために

(随分な自信やね~)

今回の事故の詳細を書き綴っておこう。

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マイナスをプラスへ

こうした一瞬の出来事で生じた不運も、様々な教訓が得られることが後々実感できるようになった。辛い事が起こると、よく忍耐力が養われる機会と言うが、忍耐とは、実は単なる我慢やあきらめとは違うそうだ。

希望をもって…耐えることのできる精神。最も辛い試練でも栄光に変えることのできる美徳。

これほど高尚な忍耐が必要な問題ではないものの、希望をもって耐えてゆくということは、どんな場合にも人をプラスへと動かす力になるだろう。

示談への戦いは今始まったばかりだ。

(カーンッッ!←ゴングの音

これが、相当な時間が掛かるものとは、この時はまだ知る由もなかった。

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交通事故編  斡旋から示談まで PART2

~正直過ぎの医師たち~

このたびの事故は、幸い…と言ってよいのかどうか悩みどころだが、怪我といっても流血した訳ではなく、入院・手術を経てなお通常の生活にまったく戻れないというタイプのものでもなかった。

(そりゃ、幸いと捉えなきゃあきまへんで~。)

そうだ。この程度で済んでいることを感謝しなければならないのは言うまでもない。しかし、なかなか厄介な症状が出たのだ。

いわゆるムチ打ち

そうだ。俗に言うムチ打ち

事故の中でも突出して症状の多い別名「頚椎症」

そして、レントゲンには写らない手足腰首頭の痛み。

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いつものアレ

概してこうした症状は希少価値が低いゆえ、病院では

「いつものアレね」

という、まるで行きつけのラーメン屋の店主に注文するかのような軽いノリでスルーされざるを得ない悲しい症状だ。

なぜここまでムチ打ちが軽んじられているのだろうか?考えてみれば、多くの症状の中でもとりわけ差別的な扱いを受けている感は否めない。

○○保険の規約を見ても「頚椎症は除く」という但し書きを何度目にしたことか。それらを見ると「そんなにムチ打ちって罪なんですか~」と叫びたい衝動に駆られる。

(誰も罪とは言っとらんで~)

勿論想像はできる。恐らく今のハイテク機器を駆使したとしても、はっきりと画像やテストで認識できない分野だからであろう。この分野における医学の進歩を心より願ってやまない。

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医師の反応

よって先述した病院の反応も無理もなかろう。毎日のようにやってくる交通事故患者。しかも自力で来院できるような軽症患者ともなれば

大丈夫 大丈夫 心配無用!全然問題なーしっ!!

って、そこまでお客を…いやいや、患者を逃がすような事はあえて口にはすまい。

ただ、残念ながら言葉にして言わないまでも……どうしても表情と態度で物語ってしまう、嘘のつけない正直者のドクターが少なからず存在するのだ。

今回のドクターの反応はいかに?!

幸い、この度担当のドクターは、眉間にしわを寄せ、

「大変でしたねー」と、一般的な人であれば大抵はするであろう(…と期待したい)反応。これは、日々重篤な患者も診察治療しなければならない医師達の中では、かなり秀逸なリアクション。(だと思うのは自分だけだろうか・・・)

(いやいや、よくできた先生やろな。)

その後、共に診察を受けていた同乗者、つまり被害者仲間でもある身内(70代 女性)が、「タブレット」で、事故の状況の画像をドクターに見せたところ、

えぇーっ!?

診察室内がどよめいた。

一体、何がそのような反応をさせたのか?

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交通事故 斡旋から示談まで ☆PART1

~十人十色~

なんでも…交通事故も、“まずは自分で”やってみるって?

いやいや、それではただの当たり屋だ。。。

そんな積極的な交通事故の起こし方をここで綴るとしたら、犯罪教唆で訴えられてしまう。それを、「病みサイト」と言うのだろうか。

(あっ、「病み」じゃなくって「闇」だった。まっ、どっちも似たようなものか?)

話は逸れたが、要するにわたしの言いたいことは、願わずして交通事故に遭った時…

(って、やはり願っとることもあるんかい?)

とあらぬ嫌疑をかけられそうだが

…改めて強調しよう。

ある日突然こちらが悪くもないのに、交通事故に見舞われてしまった悲劇に立ち向かうにはどうしたらよいのか?!

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とりわけ、自分の気持ちは「絶対100:0でしょ!!」という状況にもかかわらず、相手の保険屋に「90:10」と言い切られてしまった時のどうにもやるせない思い。

そんな悩みを抱えている方々に、わたし自身の体験を通して、参考までに耳寄り情報(示談までの軌跡)をお伝えし、少しでも役に立ててもらえればと願ってやまないからだ。

(きっと役に…多分役に……恐らく役に………立つことだろう。)

(って、そこまで自信ないんかい!) と突っ込まれそうだが、やはり過剰な期待は禁物なので。

よくあるではないか。「美味しいよ~、これっ」と言って勧められたフルーツを期待して食べたら「あれっ???」という経験。

そうだ。そのように感じてしまうのは、人間は得たプラスの情報に基づき、過剰な期待を寄せてしまうからではないだろうか?

あたかもSNSにアップされた加工済みのプロフィール写真のように。。。

そしてその後、突如として現実に目を覚まされる。。。

(って、失敬なっ!いらんお世話や!!ほっといて。)

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人生のヒント

ということで、前書きが長くなったが、要するに人の状況は十人十色。まして交通事故ともなれば、人口の数だけ色があるものだ。

それでも、参考情報を求めてネット上を彷徨い歩いた結果、似たような状況を経験した人のサイトにたどり着き、「なるほど、なるほど。あーっ、そうそう!」と痒いところに手が届いた瞬間に、その情報源に心から感謝の意を表したくなるものだ。

世のため、人のため、誠実に情報を提供している人が見つかれば、それ以降の対処方法に大きな違いがでてくる。結局、自分の色とは若干違ってもよいのだ。ヒントは必ずどこかに落ちているはずだ。いや、落ちていると信じたい。それを見つけられるかどうかは、探し続けるかどうかにかかっている。

Keep on seeking,and you will find!!

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