半身不随!!
脳血管障害の後遺症で右半身が不随になってしまったある人物がいた。
ちなみに上の写真にある、「幕末オールスターズ」より後の時代の人物である。
(なんや~、幕末にコウケントーあったかと思ったわ!)
いやいや、コウケントーの治療実績は昭和2年からである。今回は、日本史上の人物という観点からのショットを1枚。
話は戻るが、時は昭和14年1月。日本史に名を残したこの半身不随患者、それが、鈴木喜三郎氏だ。
(誰やねん!)
『この方をどなたと心得る!恐れ多くも先の副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ!』
(・・・)
いやいや、黄門様ではなかった…この「鈴木喜三郎」氏、1867年生まれの日本を代表する政治家である。
そう、日本史、特に近代史が得意な方ならすぐに分かるのだろう。しかし、自身は、苗字が「鈴木」という時点で覚えるのをあきらめてしまう根性なし。
(ちょいと、全国の鈴木さんに失敬やないか! 謝りや~)
はい、すみません。だが、個人的には「鈴木」のみならず「佐藤」も「伊藤」も似たり寄ったりだ。かろうじて「伊藤博文」ぐらいではないだろうか、まともに顔と名前が一致するのは…。
そこでとりあえずこの人物を調査。
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鈴木喜三郎
すずききさぶろう[生]慶応3(1867).10. 川崎
[没]1940.6.24. 東京
司法官,内相。 1891年東京大学法科卒。同年司法省に入り,司法次官,検事総長を歴任。 1924年清浦内閣の司法大臣として入閣。 27~28年には立憲政友会による田中内閣の内務大臣に就任。内務省の地方官人事にのぞみ,露骨な政友会優遇の党派人事を強行。さらに 28年の第1回普通選挙に干渉した。同年の第 55回議会ではその非を責める尾崎行雄の政治国難決議をはじめとする中野正剛らの攻撃に屈し,同5月3日単独辞職を余儀なくされた。その内相在職中には治安維持法改正,特別高等警察の拡充,三・一五事件による共産党の大検挙などがあり,昭和初期を特徴づける治安問題を強力に推進したことで知られる。 31~32年再度法相。 32~39年政友会総裁。鳩山一郎の義兄。―ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より
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症状
右手が運動不能で指先まで少しも動かない。右足は前に伸ばして屈伸すると、約15センチくらい伸び縮みはでき、介助して立てさせれば、支えられながら室内をソロソロと歩くことはできた。言語障害等はなかったが、来客と20-30分話しただけで疲れ、寝たり起きたりして過ごしていた。
光線治療の紹介者
こんな症状で苦しんでいたところ、なんと義理のお兄様、そう、あの鳩山一郎氏が光線治療を依頼してきたのだ!!
実は鳩山氏、自分自身が肋間神経痛に悩まされていたが、光線治療で経過が良かったため、妹の夫である「鈴木喜三郎」氏にもこの治療法を薦めたのだ!
(家族愛やね~…知らんけど。)
ちなみに、当初は半身不随ではなく「神経痛」と思っていたようだ。
さて、この近代日本史を代表する政治家から紹介を受けた大物政治家に、果たしてコウケントーは効果を発揮できるのだろうか?
その2へ続く
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